―ガリズの郊外にある寂れた3階建てのビル、「アランゴビル」は、悪人、廃人ぞろいのガリズの中でも特に悪名高いビルである。 巷ではこのアランゴビルには魔物がすみついてるだの、軍需工場が地下にあるだの、入ったら二度と生きて出られないだの、多くの噂があった。 もちろんガリズの人間ならそんな噂は普通信じない。 普通なら、である。 酒に酔った勢いでこのビルに乗り込んだ若いチンピラ集団が姿を消して以来、この噂が真実味を帯びたと言えば、納得していただけるだろうか。 さすがのガリズの人間も、「君子危うきに近寄らず」という言葉くらいは知っていたから、このビルには近づこうとしなかった。 警察はもはや機能崩壊の憂き目にあっていたし、地元の有力者も大してこのビルのことを気にかけてはいなかった。 このボロボロのビルの1階には「コリンガ」という、これまた寂れて人気のないバーがある。 マスターもいないし客も来ない。設備も、何十年も前のものだ。当然誰も足を踏み入れない。 まともな人間なら。 「……ここですか」 そして戸口にちょうど姿を現した男は、人間ではなく魔物だった。 ガリズの町では滅多に見ないような、シルクハットとスーツに、ステッキと白い手袋の姿。手品師と名乗れば多数が信用しそうなこの男は、tカラギコと呼ばれていた。 彼は寂れて、グラスなどが粉々になっている床にまず目をやった。次にカウンターに目をやると、そこに一人の男がイスに座っていることに気付く。 「おや、あなたは?」 「……酒をくれ…ヒック」 tカラの言葉に、カウンターにうつぶせになった男はうわごとで返事をした。カウンターの横には瓢箪のぶら下がったとんでもないサイズの大剣(男の身長くらいはあるだろうか)が立てかけられていた。大剣には「狼牙」と描かれている。 手品師がため息をつき、男を揺り動かした。男の顔についた、目を切り裂いている傷が浮かび上がる。 「む……っとと、てめぇは誰だ?」 「それは私がお聞きしたいのですが」 アヒャントだ、と男はtカラに向けて言う。カウンターのイスから降りたが、千鳥足だ。立てかけた大剣を持とうとするも、手が震えている上に、間違った場所ばかり掴んで柄をつかめない。 この男、重度のアルコール中毒だった。その上、ドラッグまでやっている。アヒャントの身体の中はボロボロであった。 「私はtカラギコといいます」 「てめぇも呼ばれたクチかぁ?……いよっとぉ」 大剣をようやく片手でつかんだアヒャントがよろめくが、その片手だけで大剣を一気にカウンターに振りおろした。カウンターを爆砕した剣はそのまま床にガキリと斜めになって突き刺さり、彼を支える軸となる。 「うーん、ここで飲みながら待ってたんだが、誰も来やしねえ。2階と3階にも誰もいねーし、廃墟だしよ」 「奥の方は見ましたか?」 tカラの発言に、アヒャントはキョトンとした顔になる。 奇術師はカウンターの奥に行き、傷だらけの戸棚の中で一番奥のものを開けた。 「ほら、こちらですよ」 そこには地下への階段らしき設備がある。ここを下っていけばよかったらしい。 アヒャントは呆然としていたが、階段を見て不意に笑い出した。ゲラゲラと笑うその姿に、tカラギコが不快そうに眉をひそめた。 笑ったまま階段への入口をくぐり抜け、tカラの背中をバシリと叩いてアヒャントは言った。 「いやー、参ったぜ!こんなところによぉ、階段があるなんてだーれも気付かねえってーの!はっはっはっは!」 そのセリフをtカラが聞いていたかどうかは定かではない。 何故か?アヒャントは軽くたたいたつもりだったが、背中をバシリと叩かれたtカラはその力強さのあまりに壁に叩きつけられる形になっていたからだ。 「さあ、全員揃ったし、始めるからな」 オレンジ色の毛が目立つ、右目に「中」と描かれた男、自称"天使"の中の人、もといイン・スファリエルが音頭を取る。 地下の部屋にはテーブルと、それをぐるりと囲む椅子があるだけだ。 その真ん中の議長席にはスファリエルが座り、さらにその右からtカラギコ、触角の生えた帽子とボロボロのマントを身に付けた女、青筋の目立つ不健康そうな科学者、アヒャント、スーツをまとった女が順で座った。 「あれ?今日は閣下は来てないのですか?」 「アイツは政府で"仕事"が忙しいらしいからな、今日は休みだ」 tカラの言葉に、スファリエルはニヤリと笑って返答した。その笑みが、"仕事"が順調であることを物語っている。 スファリエルは、さらに欠席者の内容を告げる。 「もちろん"機会生命体"も潜入工作中だからな。情報もいくつかもらっている」 「スファリエル、TAMIとはっきり言ってよろしいんじゃないかしら」 スーツを着た女がいやにトゲのある口調で彼に告げた。笑いながらスファリエルは返答する。 「小さなことを気にするなよ、フィーラ」 「小さなことを気にしなければ、私たちの計画はあまりに大雑把ではありませんこと?」 フィーラはそう言って、チラリと右に座るアヒャントを見た。テーブルに頭を載せてぐーすか眠っているように見えるこの男が、フィーラには気に入らないらしい。 「まったく、困ったものですわ」 「困ったことといえば……例の"Trump"……切り札が回収されたらしいですね」 tカラギコが喋る。スファリエルが頷いた。 「そうだ。しかも自我を持ち、連中の1つの支部に味方しているらしいからな」 「どうするんです?我々魔物への切り札を早いうちに潰せていないなんて……」 「問題はない」 科学者風の男がここで発言をした。手の甲に何かマークのついた右手でタバコを吸いながらなので、当然のようにフィーラは嫌な顔をするが、気にする様子はない。 むしろ、煙がモロに顔にかかっている隣の触角の女が嫌な顔1つしていないのが凄いと言えるのだが。 「あれは所詮機械の塊だ。心は人間と言えば聞こえはいいが――今にそのギャップがヤツの首を絞めていくことだろう」 「まあアンタがそう言うならそうなんだろうよ、大先生よぉ」 ここでアヒャントも目をこすりながら発言する。どこか皮肉めいたものを感じたが、彼は何も言わずにタバコを吸い続ける。 「その支部ですけれど、面倒なことになりましたわ」 「どうかしたのか?」 スファリエルが聞くと、フィーラは顔をしかめて発表する。 「あの支部に、放っていたパースを破壊されましたの。その上、あの支部長の水無月無限が、ノースブラッシュのユウマ、ハイゼッテルのカランドと―」 ユウマとカランド。この名前が出ると、全員が渋い顔をした。 もっとも、自分たちが隠密に計画して行動しているさ中、その2人が表だって抵抗しているのだから、邪魔だと感じている彼らにとっては当然なのだが。 「―接触した、いえ、するみたいですわ!今の間に芽を摘み取らないと後々困りますわよ?」 少々ヒステリック気味にフィーラが発言すると、スファリエルが唸った。 「うーん、水無月無限、だったっけ?アレはノーマークだったし、マークをつけといた方がいいんだろうが、かと言って監視役にするには手が足りないし……」 「私の部下ではダメですの?」 「スフィア?アイツは信用ならねえよ」 アヒャントが横やりを入れてきた。フィーラがムっとした顔でアヒャントを見つめる。 「信用ならない?まあ、どの口がそれを言うんですの!?この人間風情の口ですわね!」 「おうおう、お嬢様があんまり酒飲みに近寄るな、酒の匂いが消えちまうぜぇ」 「落ち着いてくださいよ、2人とも……」 tカラギコがその場を収めようとする。おかげで2人ともおとなしくはなったが、鼻息は荒い。 このタイミングで科学者風の男がまたしても発言をした。 「じゃあ俺のとこから1人派遣してやろう」 「そりゃ助かるからな!なんだっけ、あの」 名前の思い出せないスファリエルを見て名前を教えたのは、ここまで一言も喋らなかった、触角の生えた女だった。 「……レシティアだ」 「そうそう、レシティアだからな!Cクローのおかげで思い出せた!」 「まったく、そんな調子で大丈夫ですの?」 Cクローが表情を微動だにさせない中、スファリエルにスフィアがツッコミを入れる。 「で、スファリエル。もし連中がこの計画に気付いてたらどうするんだ?」 「その時はー……」 スファリエルはここで壮絶な笑みを浮かべる。 「レシティアに抹殺させるんだからな」 「OK、後でそう言っておいてやるよ」 科学者風の男は頷いたが、まだ問題があるらしいフィーラは皆に尋ねる。 「衛星兵器のリモコンの回収や、あの裏切り者の戸戸戸や煌夜の始末はどうしますの?」 「おう、じゃあ俺がちょーっと探してきてやろうかぁ?」 アヒャントがそう言うと、フィーラは嫌な目で彼を見つめた。 「……できますの?」 「任せとけよぉ」 大剣にぶらさげた瓢箪を外し、中に入れた酒をグビグビと飲みながらアヒャントは言った。 「皆まとめて叩き斬ってやるぜ」 ―続く