笹の葉さらさら。 短冊に願い事を書き、飾りを折り紙で作り、笹につるして願い事の成就を願う日。 それが、明日の七夕だ。 「……今から短冊をつるしても願いって叶うのかな」 自分の部屋でベッドにもたれかかってボーっとしていた僕は、そんな自分勝手なことを考えて苦笑してしまったが、すぐに開き直る。 7月7日に織姫と彦星が会うタイミングがあろうとなかろうと、まだ7月6日なのだ。多少遅かろうと期限には間に合ってるのだから、彼らとて無碍に断ることもないだろう。 僕はさっそくピンクの折り紙を取り出して縦長に切り、筆ペンで願い事を書いた。 「『僕は貴方に会いたい』…っと」 我ながらストレートすぎて、描いている途中でついついため息が出てしまった。 『今年の七夕は、そっちで一緒に過ごそうね』 遠距離で付き合っている彼女からそんなメールが届いたのは、3か月も前のことだった。 3か月も先のことを彼女が考えていたのはびっくりしたものだったが、一緒に過ごすことを考えてくれたのは素直に嬉しかったし、一緒に過ごすことは素晴らしいと思ったので、僕も無論OKを出した。 たちまち話は膨らむ。 普段はフレンチが多い僕らだけど、七夕は風流な和食のレストランで食事をしようとか、晴れてたら一緒に屋上で星を見ようだとか……。 祭りは準備の時が一番楽しい、なんて言うけれども、それはこの場合も一緒なのかもしれない。会うときももちろん楽しいけど、夢を膨らませている瞬間の素晴らしさは語り尽くせないものだ。 1週間前になると僕は準備を始めた。 ホームセンターで買った、小さいけれど模造じゃない、本当の笹。 笹に飾るための短冊や、飾りの材料となる、折り紙。筆ペンも用意した。 美味しい和食を提供してくれる、川床を備えた風流なレストラン。財布には痛いけど、このくらいは問題じゃない。 そして、もう1つ用意しておいた。 「せっかくの一緒に過ごす時間なんだから」 そんな気持ちで買ったのは、ブルーとピンクの天然石で加工された、土星のペンダント。 気合の入った僕を止められるものは誰もいない。……はずだったんだけど。 けれども、残念ながらそんな用意もダメになってしまった。 『ごめんね……急用が入ってどうしても行けなくなっちゃった…』 七夕の3日前になって、急に彼女から届いたそのメールが全てだった。 彼女は属している協会から急な頼みごとをされ、断るに断れなかったわけで。夜にこっちに着く予定が、向こうで夜遅くまで用事を済ませることとなり、ダメになってしまったというわけで。 仕方がないよ、そういう時もあるよ。僕はそうメールに書いて返事をした。 気持ちとは裏腹の言葉のメールが、彼女の手元に送られたという表示がケータイに出たのを見て、僕はため息をついた。 「……けっこう色々用意したのになぁ」 そもそも七夕がそんな記念行事になってしまったのは、全て彦星が悪いらしい。 天の川で無理やり2人が引き離されてしまった時、織姫は「7日7日に会いましょう」と彦星に呼びかけたのだ。 ところが彦星はそれを「7月7日」と聞き違え、毎年1回しか会えなくなってしまったのだとか。 つまるところ、彦星が聞き間違えさえしなければ、2人は7日ごとに会えたところを1年1度しか会えなくなってしまったということ。 1年に52日会えるか1日しか会えないかでは、気持ちも違うだろう。 遠距離恋愛。そういう意味だけでなら、僕と彼女の関係は、彦星と織姫だ。 けれど、遠距離の彦星と織姫は1日しか会えなかった。けど、7月7日に確実に会う事もできた。 果たしてそれは、天の川よりずっと行き来がしやすいにも関わらず、約束をしても会えない僕らとどちらの方が幸せなのだろう? 酒を飲んでいる僕にはよく分からない。 しばらくして、僕はここから彼女の家のある町までの特急と新幹線の時刻を調べ、荷物を手早くまとめて家を出ることにした。 織姫と彦星だって会ってるんだ。僕らだって会っちゃいけないという法もないだろう? 唐突だけれど、それもいいじゃないか。七夕っていう1年に1度しかない日なのだから。 切符を買って列車に乗り込み、指定された座席に座るとすぐに電車は動き出した。 ここから2時間特急に乗り、2時間新幹線に乗れば彼女の町だ。 終電でなんとか間に合うようだし、彼女も仕事が終わるのはその頃だと言っていた。 「彼女は僕を見てなんと言うだろう?」 きっと色々言うだろう。どうしてここにいるのだとか、明日も仕事があるから過ごせないと言っていたのにだとか。 別に僕にとっては気にならないことだった。 どうせ会う時のためにとっておいたお金だったから、ここで使わなければ使う機会も当分ないだろう。 それに、少しだけ会ってから駅前のホテルに1人で泊まって、明日の朝一番の電車で帰るつもりだった。     ・・・・・・・・・ 何より、彼女に会いたかった。くだらなかろうと、僕を動かすのは、たったそれだけのことなのだ。 「あ、もしもし?あ、うん、そう、お疲れ様」 新幹線が彼女の駅につく頃、僕はデッキから電話をかけた。 デッキから流れる乗換案内の放送を聞いて、彼女は僕が何をしているのか、どこにいるのか分かったらしい。少し問い詰めるような口調で聞いてきた。 「女の勘ってやつ?」 『茶化さないの。そりゃ来てくれたのは嬉しいけど……でも私明日も仕事が』 僕はついクスッと笑ってしまった。 「キミの時間を15分ほどくれないかな?そしたら僕はゆっくり帰るし、君もゆっくり休めるしさ」 窓の外に駅のホームが見えてきた。駅に到着する前に、僕はもうひと押しするとしよう。 「会いたかったんだ、キミに」 新幹線がゆっくり止まると同時に、彼女の声が通話口から響く。 『……そんなこと言われたら、断れないじゃない』 駅の中の24時間営業の喫茶店(都会は便利だ)で待ち合わせをして、同じテーブルにつき、カフェオレを注文する。 仕事が終わったばかりの彼女はまだ化粧を落としていない、スーツのままだった。ついつい見とれてしまう。 1年に1度しか会えない彦星も、こうやって織姫に見とれていたのだろうか。 ケーキセットを頼んだ目の前の織姫は、少し口をとがらせて僕へと話しかけた。 「急に来るからびっくりしたよ」 「全部織姫と彦星が悪いんだよ、分かるかい」 来たカフェオレを一口飲みながら、笑ってそう言うと、彼女はため息をついた。 「よくわからないわ」 「だろうね」 僕は頬笑み、「僕もよくわからないから」と付け加えておいた。 そしてバッグから短冊と筆ペン、そしてほんの少しだけ切ってきた笹を取り出す。 「さ、どうぞ」 彼女は頷きながら、ペンを受け取る。 「ここで描かなきゃいけないの?……ケーキ食べてからにさせてもらえると嬉しいんだけど」 「ごゆっくりどうぞ」 ケーキセットが運ばれてきたのを見て、僕は頷く。 和食は喫茶店になってしまったし、笹は小さくなってしまったけど。僕にはもう1つある。 あの土星のペンダント。 確かこのバッグの隅の方に……。 「あれ?」 「どうかしたの?」 彼女がこちらを見てくるので、手を振ってごまかしたが、内心はヒヤヒヤものだ。 いや、非常にマズい。 「……忘れちゃったかな?あれ、あれ?」 バッグを膝の上に置いて、顔をほとんどつっこむような形で僕は中身を探す。 ごちゃごちゃした中身の中に、あのペンダントを入れた青の箱が見当たらない。 どうやら机の上に置いてきてしまったようだ。なんたることだろう。 カフェオレを飲み干し、僕はうなだれた。ケーキを口に運んでいた彼女が少し心配そうに僕を見てくれる。 いくら7日と7月とを聞き間違えた、ドジな彦星とて、贈り物を忘れたりはするまい。 だが、僕は忘れてしまった。説明せねばなるまい。 「いやさー……本当はもう1つあったんだ」 「もう1つ?」 僕は頷き、身振り手振りで説明する。 「あの、アレだよ。キミが3か月前に見つけて欲しがってた、あの土星のペンダント。ピンクと青の」 「土星の?」 「ほら、見とれてたじゃない。一緒に宝石店に行った時にさ」 彼女は首をかしげていたけれども、やがて手をポンと打ち付けて頷いた。 「思い出したわ。でも、私が見てたのってその隣の金星のペンダントなんだけど……」 一瞬時が止まった気がした。 「……本当に?」 「ええ」 今度こそ僕はうなだれた。テーブルにつっぷしたい気分だが、苦笑いしながら頭を下げるだけで我慢しておく。 彼女は申し訳なさそうにこっちを見ていたが、やがてケーキを刺したフォークを置き、筆ペンを取り始めた。 僕は疑問に思い、聞くことにする。 「……ケーキを食べてから描くんじゃなかったの?」 「気分が変わったのよ」 彼女は筆ペンをサラサラと短冊に走らせ、笹にくくりつけて僕に差し出した。 「はい。……ありがと、来てくれてうれしいよ」 そこには、「あなたと来年も一緒にいられますように。来てくれた貴方が大好きです」と描かれていた。 僕は顔を赤くして手を目にやって唸った。 困ってしまう。照れるじゃないか。 彦星だってここまでされまい。本当に、照れてしまうじゃないか。 ―おそまつ