「で、むーすけはどうしたんだって?」 「なんでも娘さんが呼んでるって言うから、今日は休みをとったらしいよ」 「あー」 事務室の椅子にゆったりと座りながら、ふかふかは笑って頷いた。足元では、相棒のブレイズが眠っている。 プロ意識は高いが、プライベートのことが絡むとけっこう甘くなる。水無月無限というバランサーはそういうものなのだ。 「じゃあ今頃はチョコレートに御対面かなぁ」 「だろうね。きっと喜んだり脂汗かいたり、忙しいんじゃない」 煌夜も笑いながらそう続けた。 娘からの手作りチョコ。甘い洋菓子が苦手でも、きっと腹をくくって食べようとしていることだろう。 至極当然というべきか。文字通り、彼は家庭ではいい父親なのだから。 「ほらブレイズー、チョコ食べなよ」 産地直送、魔物用のチョコを手でブレイズに食べさせながら、ふかふかは毛並みを撫でた。 ゆったりとした毛と鼓動が、彼女の手を通して伝わってくるのだった。 さて、今日は2月14日。バレンタインデーと世間一般では言われている。 親密な人々同士が贈り物をし、親交をさらに深める日だが、この第八育成所でもそれは例外ではない。 というか。 「かえぽん、最近カップルの数が増えてない?」 「そう言われてみれば……」 隣で手をつなぐ相方のひゃわにそう言われ、楓は周辺を見まわした。 一番人通りの多い通路を、多くのカップルバランサーが歩いている。さながら、商店の集まる通りのようである。 「むーすけが今日はいないし、余計に……」 ひゃわは腕を組んで歩くバランサーの二人組を見て、冷静にそう判断した。 水無月無限がいたならば、間違いなく制裁対象だっただろう。 というか、下手したらクビが飛びかねない。 「ま、僕らもバレンタインデーを楽しもうぜ!」 「おっけーだぜ!」 二人はそう言いながら手をつなぎ直し、通路を歩くのであった。 ……言うまでもないが、二人ともれっきとした女性である。一応付け加えておこう。 ―北国では。 「うまさん、うちがチョコあげよっかー」 「麻衣ちゃんからのチョコ?いらんわ!」 「チョコじゃけん、いらんじゃけん(笑)」 「うるせー!」 「あ、じゃあアイスドラゴンの幼体にあげてこよーっと」 「えっ、じゃあごめんなさいください」 「聞こえナーイ」 「いいもん!麻衣ちゃんからなんていいもん!誰かくれよ!くれよー!」 なお、後で彼のボックスにもチョコレートが入っていた。ご安心を。 「もらえんもんが、バレンタインコーナーにいるってどうなんじゃ」 「まあいいだろ?年に一度のフェスティバルだぜー?」 大型の商店にいるこの男性二人組。口調が訛っているのはダスキンで、チョコレートを見てウキウキしているのがκである。 簡単に言うならば、休み時間ということで、チョコレートの販売店にやってきた二人である。 「正確には、お前は警備。俺は休み。だからここにいる、だろ」 「ぐ……」 κの言葉に、ダスキンが呻く。 あろうことかこの独り身にとって非常にしんどい日に、独り身に一番つらい空間へと放り込まれたのは彼であった。 商店が盗犯・事故防止の警備体制のためにバランサーに仕事を依頼。結果、その仕事を引き受けるハメになったわけで。 「……俺、医療専門なんじゃがなぁ…」 諦め半分で呟く同僚の肩を、κはケタケタ笑いながら叩いた。 「暗い顔すんなよ、それこそどん底になっちまうぜ?ほれ、これやるよ」 「ん」 κからトリュフチョコを受け取り、ダスキンは咀嚼する。チョコレートの甘味が喉を通過し、少し身体が温まるのを感じた。 心もまた、多少のぬくもりを取り戻す。 「さーて、仕事に戻るかの……」 「おう、頑張れよー。俺はもうしばらくここで物色させてもらうぜ」 ―南国では。 「スバル店長、なにやってんスか?」 「あーこれ?店の可愛いコたちにあげるチョコ作ってるんだなァ」 「魔物専用チョコッスか?」 「そうそう。……食ってみる?」 「い、いえ、いいッスよ。何が入ってるか怖くて食えねえッス」 この後、店長こと昴はチョコ目当ての可愛い魔物たちに飛びつかれて転倒するわけだが、それは省略。 「あっ、TAMIさん!」 ラボに入ろうとするTAMIがギクリとして振り返ると、そこにはあるバランサーがいた。 彼が講義でたまに見かける、若い見習いである。 「TAMIさんもチョコレートを食べるんですか?ちょっと意外ですね」 「…………そうか…」 ギクシャクとした彼が腕に抱えていたのは、明らかにチョコレートの包み。 若手は一礼し、廊下をまた歩き出した。 「…………内密にしてくれよ」 「はーい」 ニヤリとしながら行く見習いを見て、彼はため息をついた。 わかってはいるが、そんなに自分とチョコレートのイメージは合わないのかと。一応彼とて、もらえる時はもらえるのだ。 「……これを食べて、今日は休戦しよう」 もう一度、彼はため息をついてラボに入った。 ―どこかでは。 「アクアリウス!お金出しなさいよお金!」 「姉さん、それ何?」 「美肌チョコにきまってるでしょ!?50箱買って来たのよ!」 「こいつバカだー!?」 「あ!アミュー、たこ焼きチョコだって!ほら、あの売り場ー!」 「おっちゃん100箱くれー!」 「このバカめら、そこに並べー!」 「私、何もしてないよー!?」 悪魔たちは今日もドタバタしていた。 「にゃーう、やあ戸さん。ここ、いいかな」 「ルクスさん、こんにちは。どうぞ?」 ルクスが外回りの途中に休憩したカフェでばったり遭遇したのは、アドバイザーの戸戸戸。 同じテーブルに着席し、ルクスは注文したはちみつミルクを飲む。 「今日は……嫌な日ですね」 「うん?……あ、バレンタインデーだから?」 ルクスがそういうと、戸戸戸は普段では絶対に見られないような顔でクックックと笑った。 彼がのけぞるレベルのオーラが出ている。黒い、というかそれすら超えて灰と紫の混じったようなオーラである。 「そうですよ、こんなにカップルがいるなんてマジであり得ませんよ、爆ぜろ、というか滅びろ」 「なんというオーラ……」 「ルクスさん、私が飲んでいるのはチョコレートドリンクですよ」 戸戸戸はマグカップを持ちあげ、見せる。中には茶色い液体がなみなみ注がれていた。 「これもチョコレートですし、今日はバレンタインデー。で、女性の店員さんから受け取りました。私は金でチョコを買い、愛をもらえなかった男ですよ……」 ルクスは黙りこくった。もうどう言えばいいのか、という感じである。 「愛は買えないんですよ……」 「あ、戸戸戸さん!」 ハッと顔を上げると、そこには見覚えのある見習いバランサーの女性が一人いた。背の小さな可愛い女の子で、つい最近石の手配もした子だ。 少しばかり、顔が赤い。走ってきたのか、息も荒い。 「どうかしました?すみませんが今日は仕事はお断りしたい気分でして」 「あ、あの、いえ、ただ……これ、受け取ってください!」 そう言って赤い包みを戸戸戸の眼前に置き、少女は脱兎のごとく店を飛び出した。 「……これ、チョコレート?」 「Woo……」 色々とすごいものを目の当たりにした二人は、その後30分は口が聞けなかったという。 ―その日の夜には。 「……皆、チョコをいくつもらった?」 「俺は5個じゃ。いつも看てる病院の子がくれてのう、ありがてえこっちゃ」 「んー、俺は11個だ。自分で買ったのとどっこいどっこいだな」 「僕らはお互いに渡しあったのと、他の子と交換したぐらいだよね、ひゃわんこ」 「そうだねかえぽん、このチョコレート大事にするよ」 「ひゃわんこ…」 「かえぽん……」 「煌夜さんはどうだったの?俺は7個ほどもらったけどね」 「僕は70個以上あったよ……食べ切れないよこれは」 「けた違いってのはこのことか……」 「そういうらぷは?」 「……もらえなかったよ!皆なんだ、私をマスコットだと思ってチョコなんぞくれんかったわ!」 ため息をつきながら、Raptorは一人廊下を歩いていた。 チョコレートを誰もくれないということが、すなわち彼の心を暗くさせていた。だって他の人が全員もらってるわけだし。 「ん?」 ふと見上げると、そこにはふかふかがいた。 いつも通り素敵に笑っていた。というかなんかバケツも持ってるし、追いかける予兆っぽく目がらんらんとしてる。 こいつぁマズい。 「や、やあふかちゃン"ッ!?」 いきなり、彼の上から液状のチョコレートが大量に降り注いだ。 「ほーららぷー、最高級チョコレートだよ、お姉さんからのバレンタインデープレゼントだ」 「ごぼごぼごぼ……」 チョコレートがまともにかかって息ができない。 ようやく止まった頃には、彼は完全にチョココーティングされていた。 「で……今ホワイトデーのおかえしとして、らぷはもらったあああああああああ!」 「や、やめ、ちょ、バレンタインとかホワイトデーはもっと愛のあrぎゃああああああああああああああ!」 なお、後日になって判明したのは、ふかふかはチョコはもらいはすれど、あげた人は1人しかいなかったということ。 その1人が誰なのか。全ては謎のまま、ファンクラブでの噂は飛び交うのであった。 ―完