―第八育成所 その育成所のオフィスから出た彼女は、途端に大声を挙げた。 「やったー!前々から申請してた休暇取れたーっ!」 叫びながらピョンピョン飛び跳ね、右手には休みの許可が記載された書類、左手にはRaptorを握り締め、腕をブンブン振りまわして喜びを身体全体で表すのはふかふか。 子どものような感情表現をしているが、間違ってはいけない。彼女はこの育成所の中でもナンバー1を争う実力の持ち主なのだ。中身は別として。 「のおおおおお回さないでくれええええ……」 Raptorは目をぐるぐる回しながら、頭脳に組み込まれた物理ステルスのスイッチをカチリとONにする。 途端にするりとふかふかの手からRaptorの小さな身体が抜け落ち、床にぼとりと落ちた。ふかふかがそれに気付き、歩みを止める。 「ちょっとらぷー!やっと休暇が取れたんだから、一緒に喜べ!」 「いや…あんなにぐるぐる回されたらむr……うおすまんちょ吐き気が……うっぷ」 腕組みをして睨みつけるふかふかにRaptorはフラフラしながら言い訳をしようとしたが、突如吐き気に襲われ、それどころではない。人型に外見を組み換え、2本の足でふらふらとトイレへと駆け込んでいった。 「仕方ないなぁ」 ふかふかはため息をつきながらも、握りしめてくしゃくしゃになった書類を再度見つめ、ニマニマとするのであった。 「やーっと休暇取れた!」 書類には、「秘密兵器"The Trump"の試運転」を理由とした、ふかふかとRaptorの2人のタストリエ行きが記載されていた。 秘密兵器"The Trump"ことRaptorは何も知らされないままに、こっそりとトイレから出る。 ふかふかに見つからないようにしつつ、談話室で珈琲でも飲み、少し気を落ち着かせようなどと考えていたのだ。 彼の身体は相変わらず人間の姿のままで、トイレで着込んだらしきスーツ姿となっている。羊の姿の時はもちろんスーツが着られないので、普段から体内に格納しているのである。 「……しかしまぁ、休暇かぁ」 ここに入ってからの日数が浅く、まだまともに1つも仕事をしていない彼にとって、休暇の存在意義はなかった。正直なところ、毎日が休暇状態。 ただしそれが、彼自身の試運転の一環になっていることだけは、彼自身も、他の皆も、誰も知らされていない。 「私には関係のないことだ、うん」 先ほどの彼女の喜んだ顔にちょっとした喜びを感じた気持ちを封じ込め、不干渉を決め込んだRaptorは、そのままゆっくりと談話室に入った。 「あ、らぷだ」 「珍しいな、今日は人型か」 談話室では、無限が珈琲を、煌夜がオレンジジュースをストローで飲んでいた。 「ああ、ちょっと色々ね…」 Raptorは適当に返事をする。振りまわされたせいか、返事をする気力も起きないらしい。 バランサー特権で無料となっている、自動販売機のボタンを押すと、アイスコーヒーが出てきた。ストローを差し込んでゆっくりと飲み、Raptorは一息つく。ようやく余裕が出てきたようだ。 「あ、ふかか」 煌夜の言葉にギクリとしたRaptorがバッと後ろを振り向くと、そこには誰もいない。 煌夜はポリポリと頭をかきながら、「んーと、またふかと何かあった?って意味だったんだけどね」と言う。 クックックと笑いながら、無限が空になったコップを捨てる。 「図星みたいだな、何があったんだよ」 「あー、彼女、何やら休暇が取れたとかでな、喜びのあまり私を振り回して……」 そこで渋い顔をし、彼はアイスコーヒーを喉の奥に流し込んだ。 無限と煌夜は顔を見合わせて肩をすくめた。特に何も、強いて言えばいつものことだとしか思っていない。 「しかし休暇か、よくこの時期に取れたな」 「むーすけ、それはどうしてだ?」 無限の一言にRaptorは怪訝な顔をする。無限は事もなしといった顔をしながら。 「それはだな……」 途端に談話室のドアがバーンと開いた。 「あー!いたいた!」 再び流し込みかけていた珈琲をはきだしそうになるRaptor。勢いよく飛び込んできたのは天敵、ふかふかだった。 彼女はRaptorの首根っこを掴み、引きずり出そうとする。慌ててRaptorはそれを制止した。 「おい、待て、待つんだふかちゃん!言わなきゃわからんぞ!何がなんなんだ!」 「休暇だよ休暇!食の港町タストリエに行かなきゃ」 やっと離されたRaptorは、掴まれて乱れた襟元を直してからコーヒーを飲み干し、疑問を呈する。 「……それで?私はなぜ首根っこを掴まれなきゃならなかったのだ」 ふかふかは至極当然のように答えた。 「らぷも一緒に行くからだよー、決まってるじゃないか!休暇も一緒に取っといたからさ!」 「………マジで?」 「マジマジ」 彼はため息をついた。おそらく逃げ切らない限り、この状態からは逃れられないが、かといって逃げる元気はもうない。 大人しく、彼女を乗せて飛ぶしか、選択肢はなさそうだ。 「分かった、行こうじゃないか」 「おっけー!」 ふかふかがにっこりとするが、そこに無限と煌夜が口を挟む。 「2人とも、わかってるとは思うけど、1週間以内には戻ってきなよ?」 「さっき言いかけたことだが、1週間後は今年も、ハイゼッテル音楽祭での警備ミッションがあるからな」 「はーい!」 聞き終えた途端に、ふかふかは姿を消した。片手でRaptorの首根っこをひっつかみながら。 2人は再び顔を見合わせた。本当にアレで大丈夫なのか?と。廊下の方から聞こえた、男の悲鳴が、それをさらに増長させた。 「……こうたん、こないだだったか?怪しい輩に襲われたっての」 「ちょっと前だったね。大剣持った、かなりのやり手だったけど……」 無限は、ふかふかを呼びもどして警告すべきかどうか、少し考えたのだが。 「まあ今回くらいはいいだろ。休暇だし、ふかちゃんだからな」 ここにきて珍しく、彼としては能天気かつ楽観的な結論に至ったのである。 「さあ行くよー!ブレイズもおいで!」 がう、とブレイズは一声吠え、ふかふかの後についてくる。 拾われた時は幼かったこのアクアウルフも、彼女と暮らしている間に着実に成長し、30pほどしかなかった身体も60pと、2倍程度に大きくなっていた。 体毛の色も、水色から純白へと変化しつつある。 「ふふーふふー、向こうは今何が旬なのかなー」 ふかふかの頭の中には、食の最大市場、タストリエで何が食べられるか。そのことしか頭にない。そんなまま、格納庫の扉を開ける。 そこには、かつて修理されていた場所と同じところに、Raptorが毛玉の姿で座っていた。 但し、大きさは普段の比ではない。2mはあるだろうか。 彼は近づいてくるふかふかを見つけ、あくびをしながら呟く。周りには多くの研究員の姿があるのだが、それにも関わらず、昼寝をしていたらしい。 「ああふかちゃん、準備はできたのかい」 「もっちのろん!ねー、ブレイズ!」 がう、と元気のよい返事を聞き、頭のプロペラを回しながら、Raptorはため息をつく。 「私が本当に運ばないといけないのかい?汽車だってあるじゃないか」 「いーじゃん、空飛べるんだし、今回の休暇はらぷの試運転の意味もあるんだよー?」 ふかふかは目をキラキラとさせて、Raptorの頬のあたりをつつく。と同時に、彼の外板がバカリと開き、扉となる。 中には機器が大量に詰まったコクピットがあった。 その中に入り、ふかふかは大声を挙げる。 「さあ、らぷー、頼んだよ!」 「OK、OK…人使いが荒いんだから……」 諦めたような声を出しながら、バタリと外板を閉じ、Raptorはプロペラをグルグルと回し始める。 ババババと音が出始め、周りの空気が渦巻く。格納庫の屋根がギギギギと開いていき、青い空が写った。 「テイク・オフ!」 Raptorの巨大な身体が突然ふわりと上がり、またたくまに格納庫、いや、育成所を飛び出す。 そして、機体は南へと飛び立った。 少し、空について話をしたい。 この世で「一般的に不可能」と言われていることの1つに、空を飛ぶことが挙げられる。 著名な魔法使いや、科学技術者でさえなし得ない技術、それが飛行技術。 かつて、5千年も前には飛行技術が確立されていたという伝説があったのだが、それは前の戦争で全ての資料が失われ、ほとんど伝承としてしか生きていなかった。 人々は、鳥やドラゴンのように自由に空を飛びたいと考えた。 しかし、やがてそれは難しいということが発覚する。 この国だけでなく、この国を中心とした全地区の地下深くに魔法物質が発生しており、それが浮遊におけるなにかを阻害しているのだという理論が提唱されたのだった。 そして、その阻害する物質を無効化する魔法・技術はこれまで確立がほとんどされておらず、飛べた人が極まれにいながらも、それは短時間しか持たなかったことから、失敗と見なされていた。 憧れをもちつつも、人々は空を飛ぶことを諦めていた。 ところが、この古代の遺物であるRaptorに、古代技術を使った飛行機能が備わっていることが、調べで分かったのであった。 そして、理論もわからないまま偶然にTAMIの手で修復され、飛べるようになり、今回の試運転へと至ったのである。 つまるところ、ふかふかとブレイズは、世の中における、『初めて空を飛んだ人』として、機密ながらも研究者の間で記録に残ることとなった。 閑話休題。 「ねー、らぷらぷー!」 「なんだい」 砂漠の上を飛びながら、Raptorが疲れたような声を出した。 かなりの距離をプロペラのスピードだけで横断しているから当然だろうが、造りがさっぱりわからない。 「美味しいものいつ食べられるのー?」 が、そんなことは彼女にとっては些細なこと以外の何物でもなかった。 「あと1時間くらい待ってくれ、私もこれでも頑張って移動しているんだ」 「もう1時間経ったじゃん!」 ふかふかの言葉に、Raptorがため息をついた。同時に、機内で蹲っていたブレイズが、はふっと鼻を鳴らす。 どうやら、2人は思ったより息が合うらしい。 ―その頃。 『…………"The Trump"が試運転を開始した、と?』 「そういうことだからな。スパイから連絡があったからな」 とある田舎の駅構内。旅客用に設置された電話の受話器を掴みながら、中の人が面白そうに喋る。 もちろん、目立つのを防ぐために羽は仕舞ったままだ。 「空飛んで、今頃はタストリエだからな。面白いと思うぜ」 『……呑気なことを言っている場合ではないだろう。まだ"鍵"が揃わないというのに』 「焦るなよ、上層部のアンタ方の方針だってんだろ?」 受話器の向こうから聞こえる鬼気を含んだ声にも怯まず、飄々と返事をする天使。 どうやら、彼の上司と話をしているようである。 「……悪いがな、現場は現場に任せてもらうからな。文句があるならアンタがやれよ」 『フン……言いたい放題、か。だがその通りだ』 向こうの男はため息をつき、中の人の意見を肯定する。 『"ベーシック"、"トランプ"、"ミッドナイト"……把握したキーだけでも大変だからな、お前たちの好きにしろ。ただし、殺すな。次の時期が近い』 「へいへい。……そういや、他の連中は?」 『アヒャントは都心で潜伏中だが?残りは蔀が"ミッドナイト"を捕縛しているくらいのものだ』 「っはー。皆が皆、仕事の怠慢だからな」 『幸せな頭をしているやつめ』 ムッ、とする中の人。 「どういうことだからな」 『お前に全ての情報を与えてどうなる?』 「ケッ、秘密主義上等だからな」 皮肉を言ったところで、ガチャリと受話器を降ろして通話を切る中の人。 「……しかしよぉ」 「面白そうなことになりつつあるんだからな。あの街の連中は仕留められなかったが、次の獲物はもらえそうだからな♪」 「うっまーい!」 「そりゃなんだふかちゃん、私にも分けてくれよ」 白いソースが絡んだ黒い麺のようなものを頬張るふかふかと、それを見つめる人間姿のRaptor。そして、横で同じものをガツガツと食べるブレイズ。 無事タストリエに着いた、ということで、今は食べ歩きをしている最中であった。おそらく、今日も明日も明後日もそうなるだろう。 幸い、Raptorは物が食べられる構造をしていたので、そこから油分を抽出しさえすればいいだけの問題だった。つまり、食べ歩きは苦ではない。 「これはスミイカソバ!スミイカっていう黒いイカを切って、中の白い墨と和えてそのまま焼いたもんだよー」 「どれどれ……ん、美味しいが……」 Raptorはそこで、しかめっ面になる。 「……イカを触っただけで黒い色がついてしまうじゃないか」 「その黒色の織りなす味が病みつきになるんじゃないの!」 「わからんでもないが、落とすのは大変なんだぞ」 やれやれ、と言いながらRaptorはブレイズを見て、表情を硬くする。 ブレイズの口元は、すでにイカの色で真っ黒になっていた。さらに、白い墨が口元についているので、パンダのようになっている。 こりゃ落とすのが大変だぞ、本当に。 「あ、らぷ!あそこのスイートポテト買ってきて!」 「へいへい……。んじゃ私も刺身でも食うかな」 彼はぶつぶつ言いながらも、露店で商品を買ってくる。露店が街中に並んでおり、どこでも食べ物が入るのだから、使いっぱしりとしては楽なものだった。 「ん?ブレイズー、どこ行くの?」 突然。わふっ、といったブレイズが焼きそばを放置し、走り出す。 「ちょ、待ってよー」 「どうしたんだ?」 真っ黒な焼きそばと、露店で買った商品を片手に、アクアウルフを追いかける二人。 港町タストリエの潮風を本能的に感じるのか、街についてからのブレイズは普段より元気だった。 「……何か見つけたのかねぇ」 「あっ、いたいた!」 ブレイズが止まっていたのが見えた。が、目の前に和服の女の人がしゃがんでいる。 そして、ブレイズの頭には、ソースとタコの串がべちゃりと乗っかっていた。いや、落とされたというべきなのか。 「ブレイズ!」 ふかふかが声をかけると、クーンと鳴きながら、彼は主を見上げた。 「……申し訳ない。ぶつかって、串を落としてしまったのでな」 立ち上がった女性が謝ってきたので、ふかふかは手を振ってそれを遮る。 「いやいや、ウチの子がごめんねー……ほら、これ」 ふかふかは、ブレイズが身体をぶつけて落とさせてしまったタコ串の代わりに、別の露店から買ったスイートポテトを取りだし、それを相手の女性に差し出した。 当事者のブレイズはと言うと、しょんぼりした顔で"お座り"しながら、チラチラと女性の顔を見ている。 「……ありがとう」 女性はそれをスッと受け取った。 和服や、帯同している刀のせいもあるのだろうが、少女と女性の境目ともいうべき年齢に見える彼女は、ふかふかの目から見て、どこか寂しそうな顔や雰囲気を醸し出していた。 すこぶる付きの美人ではあるのだが、もったいないと、同行者のRaptorは考えていた。 「ふむ……美味しいな。かたじけない」 しかし、スイートポテトを食べたことで女性の口元が少しゆるんだのを見て、2人と1匹の顔も明るくなった。 「スイートポテトを気に入ってくれたみたいで、良かったじゃないか。なぁ、ふかちゃんにブレイズ」 Raptorがムシャムシャと白身魚の刺身を食べながら言うと、女性は首をかしげた。 「……これは、すいーとぽてーと、というのか……ほう…よくわからんが、薩摩芋の饅頭だろうか?」 「えっ?スイートポテトって、知らない?」 驚いた顔をして聞くふかふかに、女性は微笑みながら答える。 その一方で、ブレイズとイカ刺しを美味しそうに噛みしめるRaptorはさして気にしていないようだった。どうやら、人それぞれと考えているらしい。 「申し訳ないが、私は横文字や洋風には弱いのでな。専ら和なのだ。この、洋菓子か?初めて食べたものでな。だが、悪くない」 「そうなのかー。気に入ってくれたらいいんだけどね!」 懐から取りだした干物をベキベキと噛み砕きながら、ふかふかが頷く。 ふと、女性がポンと手を叩いて喋った。 「名乗りを忘れていた。貴殿らはなんと言うのだ?」 「僕はふかふかだよー。こっちはブレイズ!」 「私はRapt…ああ、ややこしいので、らぷと呼んでくれ。仇名だ」 女性はふむ、と呟き、名前を復唱する。 「ふかふかに、ブレイズに、裸婦か」 「……違うぞ」 「冗談だ」 まったく素っ気なく言うので、冗談に聞こえない、と彼はブツブツ言った。 そんな彼にも手を差し出し、女性は言う。 「私の名は白夜だ。水無月白夜と申す。このような縁だが、よろしく」 「ん、とにかくよろしく」 彼は握手をしながら、頷いた。 「あら、そこにおったんどすなぁ」 「……蔀か」 白夜が後ろを向かずに言うと、後ろから届いた女性の声が笑みを含んで返ってくる。 「あら、そないに怒った声してはるなんて、いかつうおますなぁ」 「知り合い?」 ふかふかが女性を見ながら、白夜に問いかける。和装だが、白夜と違って綺麗な赤い着物を着た、大人の女性だ。 「……知り合いだ。蔀(しとみ)と言って、はぐれていた」 「そうどす。あんさん、うちが蔀どす。白夜はんがお世話になりました」 「いやいや」 Raptorもふかふかも笑いながらそういう。が、一人だけその場の空気とは違う眼付のものがいた。 タコ串を頭に載せたまま、ブレイズは蔀をじっと見つめている。スッと差し入り、何かを探るかのような目をしていた。 しかし、誰も気付かないままにブレイズは目をそらす。そらさなければ、蔀も同じような目でブレイズを見ていたことに気付いたのだろうが。 「蔀、行くぞ。……では、失礼する。世話になったな」 「ほな……またお会いしまひょ、皆はん」 去りゆく二人に、ふかふかとRaptorは手を振って見送った。そして。 「よーし!さらに食べるぞー!」 「ああもう、ブレイズの毛が酷いことになってる……」 各々は満足のいくように、タストリエの町を歩き続けるのだった。 「……なんや、えらくあっさりと戻りはったんどすな」 「……貴様から逃げるとでも?」 「いいえー?」 「…………危害を加えかねんから去っただけだ」 「随分用心深いんどすな、白夜はんは」 「……魔物に魂を売った時の約束だ。私以外の者に手を出さん、と」 「そうどすなぁ。そやからあんさんは、生贄になるんどすなぁ」 「その通りだ。蔀」 ―続く